院長・スタッフ紹介

充実の設備、優秀な歯科技工所や
専門医との連携が
治療後の患者様の満足感を高めます。


院長 北村 聡一

院長経歴
平成12年 大阪市歯科大学 卒業
平成12〜13年 大阪歯科大学付属病院 臨床研修医
平成13〜15年 神戸市長田区の歯科医院にて勤務
平成15年 4月 北村歯科医院 院長

院長インタビュー

—— まずは院長が日頃心がけておられる治療方針を教えていただけますか?

北村 歯は一度失うともとに戻りません。大切なご自身の歯を少しでも長くキープできるよう、患者様には早期治療の大切さを繰り返しご説明しています。
早期治療を決断するには、患者様にご自身のお口の中の状態を知っていただくことが必要ですので、当院ではレントゲン写真やCT画像などでお口の中を「見える化」しています。

とくに最近導入したCTでは歯の断面画像やパノラマ画像をコンピュータ画面上に表示することができ、患者様が症状を理解される大きな手助けとなっています。
これにより、「画像を見る」⇒「ご自身の症状を知る」⇒「疾患を理解する」⇒「治療する」⇒「よい状態を保つ」という一連の流れが構築しやすくなり、治療効果が高まっています。

—— CTを導入することで、ほかにどんな効果がありましたか?

北村 CTのおかげで治療の選択肢が広がったと考えています。
CT画像で歯の状態を詳しく確認できますので、口腔外科手術に関してもどのような治療が最善なのか、判断がよりスピーディかつ正確になりました。
当院でインプラント治療を実施する場合も、CTで撮影した画像をシミュレーションソフトで立体画像化し、患者様お一人おひとりに最適な治療計画を決定します。
さらにインプラント手術ではあごの骨にチタン製のネジを埋め込むのですが、サージカルガイドという医療器具を使うとミスを最小限に防ぐことができます。サージカルガイドはCTデータをもとに3Dプリンターを使って作成しますので、症例ごとにドリルをどこに立て、どの方向にどれぐらい施術するのかが明確になり、技術的なトラブルを最小限に抑えることができます。

—— 北村歯科医院ならではの治療メリットを教えていただけますか?

北村 当院は優秀な歯科技工所と長く取引してきた歴史があり、現在も歯科技工士と非常にうまく連携ができています。
一般的に歯科技工士とはメールや電話などで連絡をとり、レントゲン画像や写真などをもとに必要な補綴物や入れ歯などを製作してもらいます。
当院ではこれにCTデータが加わりますし、さらに必要であれば歯科技工士が来院して患者様のお口の中を直接拝見しますので、より優れた補綴物を製作することができます。このように治療の初期段階から歯科技工士に補綴物の相談ができると、歯科技工士から見た理想のかたちを提案してもらえますし、かみあわせチェックの精度も上がります。
一方、患者様にとっては治療後のイメージが湧きやすく、治療のモチベーションも上がるというメリットがあります。

—— 歯科技工士が治療に同席されるケースがあるというのは、他院ではあまり聞かない話ですね。

北村 歯科医院と歯科技工士との連携が強いと、「患者様」「歯科技工士」「歯科医師」の三者関係の中でより優れた補綴物をつくり出すことができます。
入れ歯の色ひとつとっても、写真で見るのと実際に患者様のお口の中を見るのとでは多少の違いがあるものです。それでも大部分の症例は写真だけでも伝わるのですが、総入れ歯の場合などは、あごの骨格や顔の長さ、目の位置などお顔全体を見て製作することでよりよい結果が得られます。
こうした理由から、当院では歯科技工士に来院を依頼することがあるのです。

—— 歯科技工所以外にも専門医との連携を密にされているのでしょうか?

北村 口腔外科専門医や矯正専門医など、地域の優秀な病院・医師との連携を密に保ち、患者様にとってよりよい治療を受けられる病院をご紹介しています。
もちろん当院でできる施術は当院でおこないますが、全身疾患のある方や点滴が必要な方などは、さまざまな設備が整った大きな病院のほうがよいこともあります。また、こうした診断もCT画像があることで正確性が向上しました。
「町の歯医者さん」として、患者様にとって最善の治療とはなにか、治療の入口でしっかり判断することが当院の務めだと考えています。


院長 北村聡一をより知っていただくために

昭和50年神戸市兵庫区の企業城下町の笠松商店街で誕生しました。和田岬は路面電車が走り、運河を使った流通が発達し商店街も道全てが埋まるほど人で溢れかえっていた街です。

小学生時代

小学校は和田岬小学校に通っていました。小学生の時は、体も細く、背も小さくいちばん前で整列した時はいつも手を腰にして、前ならえをしている子を羨ましく思っていました。そのため、体のためにと剣道やスイミングスクールに通っていました。おかげさまで、冬でも友達と競って半ズボンで学校に通っていました。

小学校時代から夏休みの宿題の図工の宿題は特に力を入れていたように思います。その中で覚えているのは、『昆虫採集の標本作り』と『木で作ったビー玉迷路』です。昔は、昆虫採集用のキットが売られていました。今では売っているかわかりませんが注射器で防腐剤を昆虫に注入していたように思います。昆虫採集は、父親の田舎が高知県でしたのでそこでしていたように思います。羽を綺麗に見せれるように細いピンで止めていました。『木で作ったビー玉迷路』は木箱の中にスタート・ゴールがあって箱を持ってビー玉をゴールに到達するゲームを作りました。木枠や迷路の壁も全て木で作り、全てヤスリで研磨して完成させていました。しかし、先生に「親が作ったものだ」と言われ泣いて帰った記憶があります。あとの夏休みの宿題は残り一週間で仕上げたように思います。特に朝顔の日記は、芽が出てから、花がいっぱい咲いた絵の間を埋めるのに苦労していたように思います。

両親との思い出

両親は共働きで、父親が公務員、母親が北村歯科医院の二代目(旧佐藤歯科医院)の女性歯科医師でした。父親との思い出は、大阪に勤務するサラリーマンで、夜遅くに帰ってきて、土日はゴルフと釣りによく出かけていました。さすがにゴルフはできませんので一緒によく釣りに出かけていました。海釣りでは、明石や須磨、兵庫突堤に投げ釣りに、川釣りでは、生野銀山近くの川に出かけていました。母親は、今と同じ場所で歯科医院をしていました。当時も今と同じ診療時間でしていましたので、小学校から帰ってきたときに昼休憩であったりすると鍵がかかっていて、家に入れなかった時がありました。その時は商店街のお店の人の家に上げてもらい、母が帰ってくるまで面倒を見てもらっていました。当時は、女性歯科医師は100人に1人か2人くらいだと聞いています。働きながら、私を含め2人を産んで、食事を作り、朝の9時から夜の8時まで診療していたと考えると素晴らしいキャリアウーマンだと、今改めて思います。

中学・高校時代

中学高校時代は神戸を離れ、岡山で中高一貫校の寮生活を送っていました。寮生活は非常に厳しい規律の中生活をしていました。そのため、掃除、洗濯、身の回りの整理などは身についたように思われます。食事は、寮生活でしたので自炊はしていませんでした。寮生活は、中学一年生から高校三年生まで同じ建物で生活していました。寮の周りは全て田んぼと山に囲まれていて、6時の門限になると一切建物の外には出られなかったように思います。外に出ても何もありませんし、年に数名がマムシやスズメバチに刺されていました。寮生活は厳しい環境でしたがそのおかげで学年での団結は高かったように思います。都心の学校ではできないような体験もできました。寮は学校の敷地内にあったため、学校のグラウンドで毎週、同じ学年や違う学年とでサッカーやキックベースなどいつもしていました。20人、30人簡単に人が集まりますからね。団体行動・集団行動はここで身についたように思えます。

大学時代

大学は大阪歯科大学で当時は大阪の牧野と天満橋に大学がありました。今は、樟葉と病院が天満橋にあります。大学時代は神戸の自宅から大学に通学していました。朝6時に起きて片道2時間半の通学で学校から帰ってくると部活もしていたので夜の11時になっていました。よく通っていたなと今でも思います。そのため、部活で遅くになる時は大学の近くに下宿していた同級生や先輩によく泊めてもらっていました。特に大学2回生の阪神淡路大震災の時は、電車も走っていなかったので、一旦三田まで行き、大阪に出てそこから京阪電車に乗って学校に行ってました。帰りが帰れなかったので一週間月曜日から土曜日まで色んな人に泊めてもらい、週末家に帰るような学校生活を2ヶ月くらい送っていたように思います。

学生時代の部活動は中学生時代はサッカー部その後、高校時代3年間、大学時代5年間の8年間はバレーボール部でした。団体行動はこの時に鍛えられたように思います。先輩、後輩の上下関係や今思えばもっとチームとしての役割や目的意識の持った練習とかもっとできることがあったように思えます。

バレーボールの練習はきついところもありネット越しでのスポーツですが、ボールを落とさずに3回で守って攻撃なかなか奥の深いスポーツです。僕が学生時代はサーブ権のある15点制でしたので若い人から見ると不思議な制度のように思われるかもしれません。大学生の時に25点のラリーポイントに変わりました。15点制のサーブ権のある頃は2セット先取の試合でも1時間を越すことがありました。

バレーボールの練習ではアタック練習の特打や、守備練習のワンマンとかはとくにしんどい練習でした。アタックの特打は100本決めるまで打ち続ける練習、ワンマンはコート半分を使って一人でボールをセッターに返す練習です。


スタッフ紹介


髙井 麻由(歯科衛生士)

ニックネーム たかい、たかちゃん
趣味 旅行、野球観戦、ゲーム
出身 兵庫県宍粟市
学生時代

私は中学時代、3年間ソフトボール部に所属していました。休みの日は遠くの学校に練習試合に行ったり、まだ外が暗い朝早くから練習していました。夏休みは、ほぼ毎日部活の練習がありましたが、練習が終わってからでもよく友達と川に泳ぎに行っていました。今思えば、きつい練習の後に川に泳ぎに行く元気があったことに驚きます(笑)
部活の練習はきつかったですが、この3年間で体力だけでなく、忍耐力も鍛えられたと思います。
高校時代は毎日楽しくて、休み時間はお腹が痛くなるほど笑っていました。高校時代の友達は今でも集まると、昔に戻ったような気分になります。生涯仲良くできる友達に出会えたと思います。
高校を卒業してからは、歯科衛生士の専門学校に入学しました。

専門学校では、初めて地元を離れ、最初は戸惑うことも多くありました。勉強も専門的なことばかりで今まで習ったことがないことだったので、覚えることが多く必死でした。専門学校時代が1番勉強したと思います(笑)
実習では、上手くできず辛いことも多かったですが、同じ目標を持つ友達と支えあって、無事卒業して国家試験も合格できました!国家試験のことを思い出すと今でもドキドキします。
専門学校を卒業してから、すぐ北村歯科医院に就職しました。初めての一人暮らしと、社会人になったということで不安もありましたが、北村歯科医院は先生もスタッフの方もみんな優しくてホームシックになることもなかったです。

患者さんへのメッセージ

今はもう北村歯科医院に就職して、5年目になりました。担当させて頂く患者様も多くなり、後輩もできて日々勉強させて頂いています。
患者様に、「ここに来てから歯の調子が良い!」など嬉しい言葉を頂くこともあり、いつも励みになっています。これからも患者様が生涯自分の歯で美味しくご飯が食べられるようにサポートしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。


岩田 結衣(歯科衛生士)

ニックネーム いわちゃん、がんちゃん
趣味 YouTube鑑賞 cafe巡り
出身 兵庫県三木市
学生時代

私は中学、高校の学生時代6年間吹奏楽部に所属していました。
部活動ではホルンという楽器を吹いていました!
丸くてグルグルとした形の金管楽器です。
姉が吹奏楽部に入っていたこともあり何となくで入った部活でしたが、日に日にのめり込み高校では副部長も務めていました。
高校では部員の数も多く90人近くいたのでまとめるのは大変でしたが3年生では目標としていた吹奏楽コンクールで金賞を受賞出来たことが部活動を頑張ってきてよかったと思える1番の思い出です。
私が学生時代で部活をしていて好きだったことは同じ部活の友人と帰宅しながら演奏曲をみんなで口ずさむことでした。自分がメロディを演奏するところでここぞとばかりに目立つように歌うなどして今と変わらずケラケラとよく大笑いしていました。笑

患者さんへのメッセージ

北村歯科医院に勤めて沢山の患者様に関わらせて頂いています。患者様は個々に疑問に思うことや不安なこと、今後どんな風になりたいか、色々な治療方法の希望などがあるのだなと日々感じております。
私は歯科衛生士として患者様のお口の健康をサポートしていくお手伝いとして、メンテナンスはもちろんのこと、どんな小さなことでもなんでも相談しやすい!と思ってもらえるよう心がけています。話すことが大好きで少し声が大きいですがなんでも気軽にお話しましょう!お話することで歯科治療の不安や疑問の解決が出来たら嬉しく思います。


佐々木 光(歯科衛生士)

ニックネーム さっちゃん
趣味 サッカー観戦
出身 兵庫県明石市
学生時代

学生時代は中学校ではソフトテニス、高校は部活はせず、喫茶店でアルバイトをしていました。私が通っていた中学校のソフトテニス部は人数が多く、前衛後衛のペアをよく変えて試合に出ていましたが、私は小学生の頃から仲が良かった友達と3年間同じペアで続けられた事が中学生時代を思い出すと1番の思い出だと思います。
高校は通信制の学校に通っていて学校に行く回数が少なかったのでアルバイトを休みの日以外はしていました。高校卒業後は歯科衛生士の専門学校へ無事に入学し、勉強が難しく、テストでは再試に再試を重ねてなんとか3年生になり、国家試験は自分が生きてきた中で1番勉強をした結果合格することができました。専門学校で1番楽しかったことは幼稚園、保育園への小集団指導といって歯磨きの大切さを伝えるためにペープサートを使って妖怪ウォッチの劇を行った事です。セリフの台本を考えたり、ペープサートを作っている時は大変だったり面倒に思うこともありましたが、役割分担をして完成した時は達成感がありました。劇をやっていく中で改善点を考えたり試行錯誤して最終日には1番楽しく劇ができました。

患者さんへのメッセージ

北村歯科で働きだして1年が過ぎ、メンテナンスで担当する患者さんが増えました。メンテナンスで定期的に来て下さる患者さんと歯のこと以外でもお話ができたり、むし歯や歯周病予防のお話をしたら患者さんの方から質問をして頂けると歯の健康への関心が高まっているんだな、と感じます。
むし歯治療はお水がしみたり歯を削る音が不快だったりといい気がするものではありません。それでも治療のために続けて来院して下さる患者さんをサポートできるように勉強会に参加して技術力を上げたり、患者さんひとりひとりに合ったコミュニケーションを取れるように日々努力していきたいです。
今、北村歯科に通って頂いてる患者さんもこれから来て下さる患者さんの歯の健康を第一考えて最善を尽くせる歯科衛生士になれるように歯科衛生士の専門学校で習った基本を忘れずに応用できる技術を磨いていきたいです。


山川玲奈(歯科衛生士)

ニックネーム れいれい、やまちゃん
趣味 ショッピング、旅行
出身 神戸(和田岬)
学生時代

中学時代はソフトボール部に所属していました。1年生の時に先輩方は全員引退してしまい、後輩も出来ませんでした。その為、2年間4人だけの活動で私たちの代でソフトボール部は廃部になってしまいました。しかし、少ない人数で出来る練習を考えたり、他の学校と合同チームを組んで新しく友達を作るのはとても楽しかったです。顧問の先生がとても優しく、試合終わりにご褒美を買ってくれるのが何よりの楽しみでした。
専門学校に入ってからは、この北村歯科医院でアルバイトをさせてもらっていました。何もわからない私に優しく1から教えてもらったことは今でも覚えています。
専門時代に何より大変だった事は勉強です。知らないことだらけの歯科の勉強に、難しいテスト、特に一番大変だったのは国家試験です。模試でなかなか合格点が取れず受かるかどうかずっと不安でしたが無事合格することが出来ました。友達の指導や北村歯科医院の皆さんの支えなしでは合格できなかったと思います。

患者さんへのメッセージ

歯医者が苦手な患者さんでも安心できるような、笑顔で親しみやすい衛生士になれるよう頑張ります。些細な変化や気になること、分からないことがあれば何でも相談してください。また、お話しすることが大好きなのでたくさんお話ししましょう!
そして、メンテナンスなどを通して患者さんのお口の健康をしっかり守らせてもらいます。


横山 真優(歯科助手)

ニックネーム よこやん
趣味 旅行・カフェ巡り
出身 兵庫県加古川市
学生時代

私は中学生時代3年間バドミントン部に入っていました。部員数が多かったことと中学校の体育館が小さかったため、コートの中での練習はとても貴重で、ほとんどコート外での練習が多かったことを覚えています。筋トレや素振り以外にコートの外でどんな練習が出来るのか、先輩達を真似しながら常に動いていました。
高校生時代は音楽に興味を持ち、いとこのおじさんからアコースティックギターを譲ってもらい、ギターを習いに行きました。しかしギターは弦が多く、難しいと断念してしまい、弦の少ないベースを始めることにしました(笑) 友人とバンドを組み、学校の文化祭や近くのライブハウスで披露するため、ほぼ毎日学校帰りにスタジオで練習に励んでいました。
高校3年生の冬に近所のライブハウスで行った卒業ライブではトリを飾ることになりました。学生時代の一番の思い出となりました。 そして、高校在学中に医療事務の学校へ通い資格を取り、卒業してからは神戸と尼崎の病院で働き、販売の仕事を経て、現在北村歯科医院で勤めてもうすぐ7年目になります。

患者さんへのメッセージ

今北村歯科医院で私は受付と歯科助手をしています。歯医者さんに対して緊張や不安がある患者様にも、安心して治療を受けて頂けるような医院の雰囲気作り、患者様に寄り添ったコミュニケーションを大切にしています。 「北村歯科医院に来て良かった。」と思って頂けるよう、不安なことや分からないことがあれば、気軽に聞いてくださいね。


阿部 美幸(受付)

ニックネーム べちこ、あべちゃん
趣味 卓球、ゲーム
出身 兵庫県明石市
学生時代

学生時代は、部活動である卓球を頑張っていました。最初に卓球に出会ったのが小学生の時で、友達が小学校で卓球できるから行ってみようと言われて行ったのがきっかけでした。
その時に、年上で卓球をしたことがある子になんとか勝つことができて、卓球って楽しい!!と思い、中学生に上がり、部活動で活動するようになりました。
部活動で卓球をするようになってから、ラケットにも種類があることを知りました。最初、ラケットを買うまでは体育館に置いてあったものを借りてて、その中で私はペンタイプのラケットを使うようになりました。ペンタイプはもうひとつのシェイクホルダータイプより攻撃型なので、とても動かなければいけませんが、私はフットワークが苦手で上手く動くことができませんでした。
練習はとてもきつかったですが、試合で勝つために自分の苦手なことを重点的に練習をしていき、その結果、団体での試合には毎回出場させてもらうことができました。 試合でたくさんの人と交流することもあって、より卓球が好きになり、社会人になった今でも卓球を続けています。

患者さんへのメッセージ

仕事の上でも、出来ないことや苦手なことを出来ないままで終わらせず、出来るようになるまで練習していくようにしています。
そして、常に笑顔を絶やさないようにしていき、患者様やスタッフのみなさんに親しまれるように挨拶を心掛けていこうと思います。


杉本 有澄(管理栄養士)

ニックネーム すぎもっちゃん
趣味 野球観戦
出身 高知県高知市
学生時代

私は、就職と同時に高知県から神戸に来ました。  神戸に来て最初にびっくりしたことは、雨が少ないことと言葉の語尾に「〜な」をよくつけるということです!
「おおきに」と言われたときはテレビの中だけでしか聞いたことがなかったので、感動しました笑  また、小さい頃から親の影響で阪神ファンです!近くに甲子園があるのと野球放送も多いので、シーズンが始まるとワクワクしてます笑

患者さんへのメッセージ

歯科のお話をさせて頂くと、私は小さい頃歯並びが悪く、虫歯がよくできていました。  顎が小さく、歯が大きかったので「このままだと全ての歯が生えそろうスペースがない」と言われ、小学生から小児矯正を始めました。
それからはほぼ虫歯ができることなく、歯並びも綺麗になったことで笑顔にも自信を持てるようになりました! 当時はブラケットがついているのがとても嫌でしたが、今となっては矯正治療を受けさせてくれた両親には感謝しています。
 この様なことから、私は患者様が健康な歯で楽しく食事をしたり、笑顔の多い日々が送れるようにお手伝いできればと思っています。  また、管理栄養士の資格を生かして皆様が食べ物を美味しく食べれる様にお口の健康づくりの手助けとなるような食育にも力を入れていきたいと思います!